1996年に発病してからの4年間
第1章 病気の発覚(1996年夏)
第2章 検査の日々(1997年3月)
第3章 施設に通う(1997年4月)
第4章 私の病気入院(1997年8月)
第5章 徘徊の時期
第6章 少しずつ悪くなる
 
●第6章 ・少しずつ悪くなる
1997年春からデイサービスに通う日々が続きました。施設側のご好意と、上司の理解で、私も会社に復帰することができるようになりました。 平穏と言えば平穏な日々でした。 ショートステイは2〜3ケ月に1度くらいのペースで1週間ほど預けました。その間に、田舎に墓参りに帰ったり、いろいろと用事を済ませるようにしました。が、やはり施設では家のように細かい世話は望めないのか、預けるたびに、症状が悪くなって帰って来ました。最初は1日のリハビリ(?)で戻りましたが、段々戻りも遅くなりました。 母は比較的素直だったので、オムツも嫌がらず、初期の段階に自分が尿失禁しても「失敗した」と言ってくれたので、すぐ着替えさせることもでき、また失禁用パンツや尿取りパッドも抵抗無く着けてくれたので、助かりました。 よく耳にするように失敗した排泄物を隠したり、ということは一度もなかったのは本当に救いでした。けれど好きだった歌も、段々歌詞を忘れるようになり、そのうちに歌えなくなりました。言葉は、最初のうちうるさいくらい同じ言葉(たとえば「お父さんお父さんお父さん」とか「な、な」とか「そやろ、そやろ」とか)を繰り返し繰り返し言っていました。その頃は「うるさいなあ」と思っていました。 意味不明の文字を紙に書き散らしていたのも、文字の判別ができなくなり、ミミズが這った跡のような線になり、次第に書こうともしなくなりました。 段々、徘徊がおさまって来たので、運動のために散歩に連れ出したり、階段に頑丈な手すりを両側につけて上り下りさせたりしていましたが、歩くのにたたらを踏んでしまい、散歩のときは両手をひかなければ歩けなくなりました。足がすくんで歩けないことが多くなり、筋肉をほぐす薬を出してもらいましたが、段々と歩く距離は短くなって行きました。 徐々に、言葉も発することなく「あ」とか「うん」しか言えなくなりました。オムツも24時間するようになりました。 現在では、ほとんど車椅子で過ごし、立つのも危ぶまれます。言葉は全く無く、表情も変わらないので、どうしてほしいのかがわかりません。少し前までは、目で話したり、顔のちょっとした変化で意思を汲み取っていましたが、今では全くわからなくなりました。
 それでも、最初 (平成9年3月の検査時)に「あと1年すれば歩けなくなる」と言われてから丸4年が経ちました。正直、ここまでもつとは思いませんでした。これも周囲の方々のおかげだと、本当に感謝しています。