1996年に発病してからの4年間
第1章 病気の発覚(1996年夏)
第2章 検査の日々(1997年3月)
第3章 施設に通う(1997年4月)
第4章 私の病気入院(1997年8月)
第5章 徘徊の時期
第6章 少しずつ悪くなる
 
●第5章 ・徘徊の時期
徘徊は早い時期から始まっていました。まだ総合病院で見てもらう以前、町医者の神経内科に通っていた頃から、ときどき診察日でもないのに電車に乗って一人で医院へ行ったり、電車に乗っているところに知人に会って、そのまま家に連れ帰って貰ったりしました。
元気だった頃は一人で遠方へ行けなかった母が、徘徊するようになってからは信じられないほど遠くへ行きました。現在はもう歩くことが出来ず、徘徊で行方不明になる心配だけはなくなりましたが、以前はしょっちゅう警察のお世話になり、気の休まる暇がありませんでした。
用事をしたり電話をしている間に自宅から出て行ったり、一緒に出掛けていてちょっと目を離したすきにいなくなったり、雨の降る夜中にいなくなったこともありました。隣で寝ていた父が気付かない間に家から出て行ってしまったのです。 そのときも何キロも離れたところで、雨の中、傘をさして歩いているのを警察に保護されました。
家は日本家屋なので玄関の扉に見えないようにロックをかけたりしましたが、力はあるし、まだ当時は足腰も丈夫だったので、力任せに戸を開けて、出て行ってしまいます。 毎日、犬の散歩、ということで母と近所を歩き回ったり、自転車に乗って遠出をしたりしましたが、それだけでは物足りないのか、それとも疲れていても出かけずにはいられないのか、やはり一人で当てもなく出て行ってしまうのです。
持ち物、洋服、靴、と身の回りのものすべてに母の名前と電話番号を入れました。 知らない人について行って、そこのお家に上がりこんでいたことがあり、そのときは「迷子札」が功を奏して連絡をしていただき、慌てて迎えに行ったものでした。
また、夜中に眠れないらしく、起き上がったり、周囲のものをさわったり、服を着替えて出掛けたがるので、隣で寝ている父も起きてしまいます。仕方なく段々強い睡眠導入剤を服用させて、どうしても寝付かないときは頓服を飲ませました。
大学病院の検査期間中は毎日私が電車とバス(またはタクシー)を乗り継いで自宅から片道一時間ほどの大学病院に連れて行っていたのですが、そのときは徘徊こそなかったものの、電車やバスが駅に停まるたび「ここで降りる」と言って降りようとし、「●●駅まではあと幾つあるよ」と言っても聞かずに降りてしまう、という毎日でした。
施設に通うようになってからも、ときどき施設から脱走することがあって、私はなかなか離れることができませんでした。最初に1ケ月間お世話になった施設では、結局最後の日まで詰め所に待機していて母から私の姿が見える位置にいないと、すぐに家に帰ろうとしました。次の施設では段々別の部屋にいるようになって、離れている時間を長くして、やがて預けている時間はいったん自宅に帰っても大丈夫になりました。それからでも施設に行かない日は母を連れて遠方へ散歩に出かけないと、また一人でどこかへ行ってしまうのではないかと気が気ではなく、ずっと母と二人で過ごしていました。
この、つらかった時期に事情を分かってくれて会社を休職させてくれた、そんな理解ある上司に恵まれたことは本当に運が良かったと思います。
●第6章 ・少しずつ悪くなる