1996年に発病してからの4年間
第1章 病気の発覚(1996年夏)
第2章 検査の日々(1997年3月)
第3章 施設に通う(1997年4月)
第4章 私の病気入院(1997年8月)
第5章 徘徊の時期
第6章 少しずつ悪くなる
 
●第4章 ・私の病気入院(1997年8月)
「いつ切りますか?」1997年6月、婦人科で検査の後言われて最初に思ったのは「母をどうしよう」ということでした。5月から通いだした施設は新設のためまだデイサービスのみです。しかも職員の数もまだまだ不足していて昼御飯のときには付き添いの私が周りの方のお世話をしたりしていました。何日も預けることはできません。そこで地域の保健婦さんに相談して預けられる施設を探して貰いました。
このとき、初めて「ミドルステイ」という制度を知りました。65歳以下なので介護保険というものがなかった当時、本来は預かって貰うことは出来なかったのですが、私が病気入院・療養中の間だけという条件でお願いできることになりました。本人はイライラの状態が強く、また、徘徊があったので、閉鎖病棟のある施設でないと受け入れてもらえません。保健婦さんの紹介で、県内の老健施設に見学に行きました。
初めて行ったとき、その広さに「これなら」と思いました。廊下はフロア全体をぐるりと一周出切るようになっており、ぐるぐる歩き回っても、必ず詰め所を通るように設計されています。
また、個室(一人部屋)を用意してもらえることになりました。夜はもちろん鍵がかけられて、そのフロアからは出られなくなっています。 それでも、初めてのことに不安なのは父も私も一緒です。食事は大丈夫か、夜は眠れるか、周囲となじめるのか。ともかく迷っている時間はありませんでした。部屋が空く時期に合わせて私の手術と入院の日を決め、母を1ケ月間預かって貰いました。
預けたときは「このままここに馴染めるだろうか」と心配でしたし、私たちが帰るときに騒いだりしないかと不安でしたが、もう物事の判断がつきにくくなっていた母は周囲が物珍しいらしくあちこち歩き回っていて、私たちが帰るのに気付きもしませんでした。当時は食事も自分で食べられるし、身体はいたって健康だったこともあり、お世話になっていた間、お掃除のおばさんと仲良くなってお手伝いをしたり、思いのほか機嫌よく過ごしてくれたようです。ただやはり、時々、イライラっとすることもあった、と後で伺いました。
手術は予定より時間がかかり3時間の予定が結局6時間もかかったそうですが全身麻酔だったので手術中のことはまったくわかりません。でも術後の痛みと麻酔の副作用による吐き気、手術中と術後のゴムシートに皮膚がかぶれて背中からお尻にかけて皮膚炎になって痒くてたまらなかったこと、看護婦詰め所の正面の個室だったのですが夜中に看護婦さんの話し声や笑い声が響いて眠れなかったことなど、決して快適とは言えない入院生活でした。けれど、その頃まだ会社勤務だったことと遊び友達も多かったのでお見舞いにたくさん花篭をいただき、私の病室はまるで温室のようでした。ガーデニングや薔薇栽培を始めたのはずっと後になってからのことですが、たくさんのお花に慰められました。
入院は2週間の予定でしたが結局3週間に伸び、その後自宅療養をして無事元気になりました。その間、ずっと母を預けることができ、本当に助かりました。
けれど、やはり環境が急に変わったことが良くなかったのか、それとも大学病院で言われたようにまだ若いだけに進行が早かったのか、母はどんどん悪くなって行きました。

●第5章 ・徘徊の時期