1996年に発病してからの4年間
第1章 病気の発覚(1996年夏)
第2章 検査の日々(1997年3月)
第3章 施設に通う(1997年4月)
第4章 私の病気入院(1997年8月)
第5章 徘徊の時期
第6章 少しずつ悪くなる
 
●第2章 ・検査の日々(1997年3月)
「このままではいけない」そう思い始めたある日、コネを頼って大学病院に相談に行きました。幸い力になってくださる教授がいて、すぐにその大学病院の「老年内科」に紹介状を書いていただくことができました。しかし近所の総合病院にレントゲン写真の貸し出しをお願いすると「私の診断が信用できないなら二度とこの病院に来ないように」と担当医師に言われ、看護士さんにも「大学病院は待ち時間ばかり長くて親切にはしてもらえませんよ」と言われました。不安な日々を過ごしていた身には涙が出そうなひどい言葉でした。それでも、薬漬けで反応の鈍い母を見ていると、何かせずにはいられなかったのです。
大学病院でも予約待ちでした。本来なら検査入院なのですが、すでに徘徊が始まっていた母を一人病室におくこともできないので、毎朝私が病院まで連れて行き、検査の間は横についていて、検査が済むと一緒に家に帰る、という形にしてもらいました。 判断能力がなくなって来ていた母は、電車やバスに乗っている間、駅に着く度に「ここで降りる」と言って止める私を力尽くで振り切って降りようとしたり、乗車料金を何度も何度も繰り返して尋ねます。外見は至って普通ですが会話をちょっと聞くと「あれ、この人何を言ってるのだろう」という感じで、周囲の視線が辛かったです。バスの中で見知らぬおばあさんに「頑張ってね」と励まされ泣いたこともありました。
すでに徘徊が始まっていたので、検査と検査の間は、病院中を歩き回ります。また、レントゲンや脳波の検査の時は廊下でも構わずに服を脱ごうとするので、冷や汗ものでした。 毎日毎日細かい検査(心理テストや学力テストのようなもの)もあり、約2週間の検査を終え、主治医、担当医、婦長、父、私で、今後のことを相談しました。それまで通っていた総合病院ではそんな場を設けてもらったことは一度もありませんでした。
幼稚園の入園試験のようなごく簡単なパズルなどもすでに出来なくなっており、そのことがはっきりわかったことに改めてショックを受けました。 診断としては「はっきりとは言えないがアルツハイマーの疑い」ということで、1年すると寝たきり、寿命自体も3〜5年かもしれない、と言われました。また、根本治療は方法が無いけれど、これまで服用していた多くの薬は一切止めて、睡眠導入剤など本当に必要と思われる薬だけ服用するようにと言われました。 父は「仕事を辞めて家で面倒を見る」と希望しましたが、私はそれでは父の方がもたないと思い、仕事は辞めないで続けて欲しいと望みました。ドクターたちも私の意見に賛成してくださり、24時間介護の、ある老人病院を紹介してくださいました。すぐにその病院へ見学に行きましたが、まだ当時はしっかりした部分もある母を入院させるにはしのびず、申し訳ないことですがドクターと院長先生のご好意をお断りすることにしました。 その後、婦長さんが「デイサービス」で昼間だけ預かってくれそうな施設を色々と探してくださり、現在もお世話になっている、ある施設に通うことになりました。

●第3章 ・施設に通う(1997年4月)