2000年6月現在と、これからのこと




■2000年6月現在のこと


最初の検査の時に「娘さんのカオは、すぐ忘れますよ」と言われましたが(かなりのショック・・・・・)いつの頃からか「もしかして、私のことわかってないのかな〜???」と思うようになりました。まだ 「な、な、な」などと意味不明の言葉を話したり、なんでもないときに「そやろ、そやろ」と同意を求めたりしている間は、どうにかこうにか「家族」だとわかっていたように思います。 現在では、一言も発しなくなりました。何かの拍子に「あ」と声がもれるくらいです。 顔の表情もほとんど変わりません。何をして欲しいのか、どうしたいのか、読み取ることもできません。歯磨きのときに「イヤダ」という表情をするのが唯一の意思表示でしょうか。


足の力もなくなり、今年(2000年2月)からは車椅子です。これまでもデイサービスやショートステイでは車椅子生活でしたが、足の力が衰えると思って家ではできる限り歩かせるようにしていました。2〜3メートル進むとたたらを踏んで立ちすくんしまい、病院の駐車場から建物に入るまでに何十分もかかる状態でした。
今は、立っていられる時間もほんのわずかになり、トイレでの後始末や入浴後身体を拭くときに、しゃがんでしまうので大変です。一日中、車椅子の生活です。


何に興味を示すわけでもなく、ただぼんやり座っているだけの毎日です。目を離すと日中でもうとうと居眠りをしています。食事中に寝てしまうこともあります。また食事の量が極端に減り、一時は53Kgあった体重が43Kgまで落ちました。
食べた物を飲み込むことが段々難しくなって来て、咳き込んでむせてしまいます。食事中に何十回も、口から食べ物を噴き出してしまい、苛立った父が手をあげたこともありました。私はどれだけ時間がかかってもゆっくりでいいから食べて欲しくて、一口ずつスプーンで食べさせていますが、それでもぶわっと噴き出してしまい、後片付けがとても大変です。特に野菜が食べられず、栄養補助ドリンクと、野菜ジュースを取らせています。また痰を自力で排出することができないので、痰を切れやすくする薬をもらっていますが、やはり痰を出すまではできないので、喉の奥でゴロゴロ音がしています。そういう状態の時には何も食べたり飲んだりすることができません。先日は、デイサービスの施設で、鼻からチューブを入れて痰を吸い出してもらいました。現在困っているのは、この、立てないこと、食事が喉を通らないこと、の2点です。




■これからのこと


先月(2000年5月)に和室2間を、車椅子が通りやすくなるように全面フローリングにし、また現在(2000年5〜6月)浴室と脱衣場を車椅子で入れるように改造工事をしています。我が家は注文建築の和風一軒家、あちこちに段差があります。キッチンから和室に行くにも数センチの段差があるし、まず玄関の叩き台からして数十センチの高さです。車椅子を持ち上げることが出来ません。せめて家の中の段差は出来るだけ無くして、玄関にはすのこを利用して三角柱のようなものを高さに合わせて作り、車椅子を押し上げて入れるようにしました(でもいちいちそれをセットしてまた片付ける、という面倒な作業が必要です)。家を建てた当時は「バリアフリー」という考え方も言葉も無かったと思います。


浴室は家の外側通路へはみ出すようにして空間を広げ、車椅子ごと洗い場に入れるようにしました。また浴槽はあえてそんなに大きく取らず、浴槽と同じ高さにタイル部分を作って、いったんそこに座ってから浴槽へ移れるようにしました(でも上がるときが大変・・・・・)。


介護保険が使えるようになったとはいえ、持ち出し費用は200万円を超えました。お金持ちならともかく、ごく普通の我が家にとっては痛い出費です。それでも、少しでも快適に過ごせるようにと踏み切りました。 これから、母がいつまで自宅で過ごせるのかわかりません。 このまま食べられなければ点滴に頼らなければならないし、そうなれば自宅で介護することも難しいでしょう。もしかすると、病院に預ける日はそう遠くないかもしれません。


以前(1997年3月)に見学させていただいた老人病院にも、いずれは入れることを考えるようになりました。それだけ症状が進んだからです。 いつか病院に入れてしまう、そのときまで、あとどれくらい時間があるのかわかりませんが、その日まで、父と二人三脚で母の世話をしたいと思っている、私でした。